1984年から1990年ぐらいの三十代後半までに喉仏がゆっくり下がったといいます。その後、1998年の作品は、かなりゆったりした低音が特徴です。サビの部分はゆったりした低音と高音で歌う陽水さんの二重奏です。その後は高音を張り上げるタイプの歌は発表されません。
ティーンエイジャーでは高音で歌える最後の陽水さんのメッセージに溢れています。暗がりのそとへ連れ出しておくれ、怖がりな僕を。というメッセージが高音で歌えた陽水さんの中の消えかかる若々しいティーンネイジャー魂が描かれています。
ティーンエイジャーという年頃、田舎から上京して怖がりな若い時の気持ちが良く分かります。そうした共感できるフレーズが消える寸前の輝きのようなバランスで二重奏にまとめらています。
高音部を奥田民生さんが担当して、陽水さんが低音で深みのあるバックコーラスを添えるデュエットが1997年の作品です。
1998年の長い坂の絵のフレームという歌は、ゴールデンベストというアルバムに収録されています。歌い方はゆっくりゆったりとして老境に向かって下り坂を眺める陽水さんが表現されています。
長い坂は、人生の後半の老いゆく下り坂だけを表すとは思えません。その長い坂は現実の坂ではなく、目の前に飾られた絵だという歌詞です。ではフレームは絵の周りに飾られた外枠のことでしょうか?
この不思議なタイトルを私なり解釈します。フレームは普段掛けているメガネのフレームだと解釈してみることが出来ると思うのです。目の前にある現実の坂がメガネに写っている像を絵と理解します。メガネのレンズ像とその周りのメガネフレームだと捉えるのです。
すると坂の絵の飾ってある美術館の壁の前のような場面から、一気に現実社会全体に場面が広がります。目の前に広がる坂を歪んだメガネのレンズ越しに見ている陽水さんです。その陽水さんはメガネ越しの目の前とメガネフレームの外側に広がる全体的な世界をゆっくり眺めている歌詞の世界です。
メガネレンズが歪んでいるのか、メガネフレームが傾いているのか、目の前の坂が傾いているのか。周りの他人、自分の位置と自分の目を客観的な不思議な視線から達観している様子が分かるような歌詞です。
誰よりも幸せなひと、理由もなく悲しみのひと
とは陽水さん自身のことか、周りにいる人か明示されていません。
自分も周りの人々も皆が、小さな幸せだったり理由もない悲しみだったりに毎日行ったり来たりしながら暮らしているんだからという歌だと思います。自分だけが終わらない悲しみの世界にいるような気がしても、考え方を変えたら一瞬で誰よりも幸せな人になるんだよ、というメッセージに私には聞こえました。
https://www.uta-net.com/song/38528/
https://youtu.be/fKaSYUU00mU?si=iM_isgkbZUleMHhN