日本語はおんぶされた子と母との一心同体で同じ物を見ている二人の間の会話として発展したと、考えると理解しやすいです。
考え方が違う大人同士が向かい合って対立する考えを互いに話しながら交流する時に発展した言葉が英語と捉えることもできます。
つまり子育ての現場から生まれた言語が日本語で、戦争の現場から生まれた現場が英語であるという仮説が立てられます。
吠える音や鳴き声を使うような猿から人間に進化する際に、二本足歩行で声帯の使い方の自由時が高まった時期と、言葉が発達した時期は重なるはずです。
そうした言葉を使うようになった先祖たちが、一番言葉を重要視した場面は、人間の本能と結びついた場面のはずです。人間の本能に、女性による長期的な育児、男性による殺し合いという場面は密接に関係します。
育児に限らず年老いた夫婦間でのあ・うんの呼吸による会話にも特徴があります。長年一緒に暮らすと、アレをアレしていて、というような会話が成立するようになります。
英語にも同じように長年寄り添った間柄の二人の会話の表現があるのかもしれません。
また複数人の会話の場面で、仲間同士には通じて他人には聞かれても意味が理解されないように気をつけながらする会話という場面もあります。業界用語や符丁と呼ばれる言葉が、使われます。お客様の前で店員さん同士だけが会話するような時に使います。
この時に前後を逆にします。ハワイをワイハー、寿司をシースーという表現です。
この文の前後を逆にする符丁を全文に広げているのが日本語の語順なのかもしれません。アイ・ライク・イットをライク アイ イットと必ず言い換えるようにして、自分たちの会話を多文化圏から隠すような文化があった可能性はあります。
その中で主語を省略する符丁が一番効果的に分かりにくい暗号を作る方法だと分かった日本人が使うようになった言葉が日本語かもしれません。
日本語が珍しい言語なのは有名で、どうやって生まれた言語かという研究があります。複数説があっても証拠となるようなモノはないです。どれが正解か、決められない事が分かっているという面白い研究分野です。