日本は明治時代から欧米に侵略される危機にさらされ続けていた。
中国は、日本が侵略する前から欧米に侵略されていた。
日本は国際政治的に孤立して資源と市場を求めてアジアを侵略した。
しかし、中国の反抗とアメリカの原爆で敗戦。
中国もアメリカも数百年単位で世界を支配しようとする歴史観を持っている。
日本は、今の北朝鮮のように、強がって実際に戦争を始めたが、北朝鮮と同じくシナリオはなかった。
日本が世界で貧しい国にならないようにするには、戦勝国であるアメリカの言いつけを守り、中国の機嫌を取って身の丈にあった国策を取ることだ。
敗戦に至っても、なお守られた日本の資産家たちが、国家体制の維持という美名のもとで戦後も支配し続けた。
戦後25年(1970年)と戦後50年(1995年)では、
戦争にたいするイメージはかなり違う。
1970年では、闇市でのスイトンを模擬体験する若者がニュースになっている。
1995年では、村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」が発表される。
2020年は、オリンピックで浮かれていると思う。
日本は、世界で貧しい国ではない。
しかし、アメリカや中国と並ぶ国でもない。
戦争に負けたという体験が1970年には忘れられている。
1995年には、政治家も戦争をどう語るべきか迷っている。
2020年には戦争自体を忘れようとしているだろう。
戦争がなぜいけないか、
多くの国民が困窮した国策の誤りだったからだ。
北朝鮮が始めようとする戦争に反対する声は小さい。
日本にミサイルが落とされるならアメリカが北朝鮮に反撃するだろうと期待している。
日本が、世界平和を望む必要があるのは、
日本が戦争によって不幸になるときだけだ。
北朝鮮で戦争が起こっても、日本は困らない。
日本に爆弾が降るという危険がなくなるなら多いに結構。
朝鮮戦争が起こって特需があったような、北朝鮮特需があるとは
思っていない。
しかし、北朝鮮の起こそうとしている戦争は、
アメリカが、ロシア、中国の勢力と対抗するために朝鮮半島を二分して支配した
歴史の陰を引きづっている。
つまり日本の起こした戦争の名残でもある。
戦争は、今でも北朝鮮という国の存在を軸として
続いている。