私への評価について

物事や人物を評価するときは
社会に役に立つかどうか、という視点が評価の第一だと思う。早い車。強い力。正確な計算など。
しかし、何が役に立つことか誰にも分からない現代には、無限にある個々人の視点から人を評価して見ることも出来る。
金持ちや、金を稼ぐと言った才能から評価される人もいれば、
不断の努力で全人類に感動を与える視点から評価される人もいる。
誰からも評価されなくても生きる事は価値がある。
国を豊かにするために生まれてきた訳ではない。
遺伝子を残したり、財産を引き継ぐための自分ではない。
評価されるから人は生きている訳ではない。
金を稼ぐとか感動を生むという評価から全く外れていても社会の秩序を壊さない範囲で
自分へとやかく言う外野を聞き流せる強さを持つことで生きていける。
人はモノのように役立つから存在する価値がある訳でない。
役立つ商品を大量に作るように
役立つ人間を大量に産み育てる社会ではない。

とかく、役立つから評価すると言う考えがはびこる現代で役立つ役立たないではない価値観が必要だ。

あなたは生きていると社会のお荷物だという評価にも耐えながら、
それでも自分なりの生き方を肯定する。
それが多様な価値観を求める現代での私の生き方だ。

役立つ人間を求める現代で、
精密機器の部品としての個々人を肯定しながらも、
部品として社会に役立たない自分への評価の一元化を拒否することを生き方とする。