安岡先生のことば。はじめの三つは『新憂樂志』の説明を引用する。

一、忙中 閑有り。
ただの閑は退屈でしかない。真の閑は忙中である。ただの忙は価値がない。文字通り心を亡うばかりである。忙中閑あって始めて生きる。

二、苦中楽有り。
苦をただ苦しむのは動物的である。いかなる苦にも楽がある。病臥して熱の落ちた時、寝あいた夜半に枕頭のスタンドをひねって、心静かに書を読んだ楽は忘られない。貧といえども苦しいばかりではない。貧は貧なりに楽もある。古人に「貧楽」という語があり、「窮奢」という語もある。

三、死中活有り。
窮すれば通ずということがある。死地に入って意外に活路が開けるものである。うろたえるからいけない。それのみならず、そもそも永生は死すればこそである。全身全霊をうちこんでこそ何ものかを永遠に残すこと、すなわち永生が実現するのである。のらくらとわけのわからぬ五十年七十年を送って何の生ぞや。

日本の進むべき道が、貧楽なのかもしれませんね。資源に乏しく、人口も減っていく中、娯楽や美術にこそ日本の良さがあるのでしょう。クールjapan。


>榊原さん
安岡先生は、「人性の自然が現前の生活苦を見るに忍びない。けれどもそれだからといって、各人各個が喧々囂々と、口を開けば生活苦を訴え・・」という様な事(政策とは別)や享楽主義を戒めておられるわけで、冒頭文でも「いかなる物質的生活問題も、優れた精神、 美しい感情、頼もしい信用に待たねば真の幸福とならず、経済の安定、真の成長というものにならぬ。」と強調されています。
「経済と道徳」「利と義」の件は、渋沢栄一の精神・実践に通じるものでありましょう。
    ※ 栄枯盛衰は歴史の習い とはいえ・・