副鼻腔炎の当事者が粘調な鼻水の苦しみを【邪鬼・邪気】と独自に解釈したら

 【邪気を独自解釈】仏像に足元に押さえつけられる邪鬼・邪気が描かれる。邪気とはなんだろうか?邪気とは、鼻腔内の鼻水より下、舌の周りにできてしまう空間の空気だと思う。

【副鼻腔炎の粘り気のある鼻水】

副鼻腔炎を長く患うと鼻水のより上の空気を吸えずに鼻水に下側にある空気を鼻呼吸することになる。私は左は健康なので鼻水より上の空気を普通に呼吸できる。右はずっと鼻水の水面の下側のねばねばした空間で鼻の孔がおぼれていた。

【口の中、舌の下の空間】
その鼻水の下の空気が邪気だと感じる。呼吸を落ち着かせて鼻水より上の副鼻腔の空気を増やして液面を下げる。すると液面の上に鼻孔が上げられることができる。
鼻水の水面は上に上がりやすい。鼻孔は水面以下に落ちると苦しい。邪気を抑えるには目の位置より上の上部の副鼻腔の空気圧を高めて液面を下げる。液面の上下を通る副鼻腔を開けるのは一時的には空気が吸えて楽になるが、液面が上がってしまう。上下を貫く副鼻腔が閉じたり開いたりしながら液面を下げて鼻孔を液面上に出すのだ。

【ナウシカ・蓮の花】
液面上に出た鼻孔はすごく空気を吸いやすい。匂いはあまりわからない。おそらく口と目の間に位置の液面で匂いや埃や花粉がブロックされる。まるでナウシカの腐海の砂によって浄化された空気を吸うようだ。



【副鼻腔炎との共存】
液面など気にせずに鼻水など無縁な生活をしたい。が、どうも私の副鼻腔炎は完治できない。ながく付き合うことになる。それならば副鼻腔炎の粘り気の強い鼻水を中に溜め込んだまま共存する生活をすることになる。

【右の副鼻腔炎と交感神経】
邪気を抑え込むような仏像の手足の動きは右を強く抑えているように見える。右の副鼻腔炎のほうがつらいのだと解釈している。右は交感神経が働く。右を下に寝ると右に鼻水が溜まる。右手で活動的に動くときほど右の邪気が邪魔になる。普通の健康な人なら右を下にして左側の副鼻腔で呼吸をしたほうが副交感神経が働いてゆっくり休める。右の副鼻腔炎は活動を邪魔して睡眠も邪魔する。困りものだ。

【仏像と邪気】
邪気を足で下へ抑え込む仏像がそうした副鼻腔炎に苦しんだ過去の人々の解決策をシンボル的に表しているように解釈している。


【仏教は健康法だ】
分かる人には分かるだろうが、仏典の教義とおなじようにちんぷんかんぷんで、音だけ真似して天国へ往生するように解釈するひとがほとんだだ。マインドフルネスが禅の呼吸法と同じで、ある種の健康法だ。仏教とは本来、道徳ではなく健康法だと思う。