幸せって?社会のデザイン、性と家族、子育てと教育、子持ちの学生像について

健康は気分よく幸せに生きる上で有利だ。
幸せとは周囲の人たちとの人間関係に恵まれている事を表現する言葉だ。
病気や怪我、障碍の有無だけでは健康や幸せは決められない。一般に伝染病患者は隔離される。類推で馬鹿が伝染るという表現もある。さらに貧乏が伝染る、不幸が伝染る、穢がうつるという表現もある。ある種の病原菌が関係するように扱われる。社会全体の健康のために隔離される。

空気中を病原菌が漂うタイプ以外にも遺伝的にかかる確率が高い病気もある。短命の家系、長生きの家系等と表現される。お見合い結婚が世間一般の常識だった時代には、家系を調べて相手を決める事もあったらしい。病気の多い家系を避ける知恵だったのかもしれない。

子孫繁栄を願う気持ちは社会の基本原理の一つだ。
自分の子孫が幸せになるように願うのは当たり前だ。だが、昨今の少子化は、単に子供が少ないだけではなく自分に子供がいない人たちも増えている。全員が自分の子どもを残せる訳じゃないのが厳しい社会では当たり前だ。一夫多妻制という国もあるのは、子孫繁栄を民族全体で願う仕組みがあるからだろう。


幸せとは、周りの人間関係に恵まれている状態だ。
その人間関係の中で最も深いものが夫婦関係であり、親子関係だ。歴史的に、性生活は夫婦間にだけ公認され、子作り、子育ての責任が果たせる夫婦にだけ結婚が許された。

強姦の罪は、若い女性が子どもを産むという状態と関係が深い。古典的な強姦イメージと現代的な強姦とは異なるようだ。酒に泥酔した状態で合意を得ずに行う、監禁した密室で判断力を失わせた状態で行うというのも含む。さらにAVに不本意に出演させられたと訴える女性が多い。これも広い意味で強姦と捉える事もできる。

性は幸せになる手段として強力だ。男性にとって社会的に成功して好きな女性と関係を持つ事は大きなモチベーションになりうる。女性にとっても好きな男性に愛される、好きな男性との間に子どもを産むのは理想像の一つだ。幸せな家族、幸せな人間関係を築き、維持する上で性と子どもは強力だ。

愛し合う夫婦関係であっても子どもの前では性を隠す。幼い子どもはおしゃべりだから隠さないとオープンに話しすぎるというのが理由だろう。物心ついた子どもが親と性関係を持つのを防ぐためとも言われていた。

子孫繁栄には若者の性を上手く利用する必要がある。
若く子どもを産む女性は、教育が進むと少なくなった。子孫繁栄のためには若い女性に子どもを産む機会を増やす事が早道だろう。教育すると子どもを産むのを遅らせる選択をするのは、当然だ。現代の教育は男性を中心にプログラムされている。教育は就業前の男性を対象に行うもので、結婚している学生、子育てしている学生、子育てしている女子学生は想定外だ。

教育の重要性は高まり、教育にかける時間も長期になっていく中で、結婚して子育てしながら学校に通う学生像も、就職活動時に子育てしている学生も当たり前として想定する社会が必要になる。

逆に子どもを一生持たない人生や家族像についても肯定するべきだ。社畜人生はマイカー、結婚、子育て、マイホーム、教育、介護などにお金がかかりすぎる社会と呼応している。子どもを持たない人生では子育てのお金は不要だが、介護は避けられない。
ベーシックインカムや社会保障はこうした人生にかかるコストを社会全体で支える仕組みだ。

幸せとは人間関係に恵まれた状態であり、子孫繁栄が基本原理である。
計画経済によって共産共栄は実現出来なかった。競争経済の方が強く、共産圏といっても、アメリカとの競争は避けられない。そのアメリカの競争経済でも格差問題や資源の有限性の問題を解決出来ていない。

ミクロな幸せは、国の制度によってデザインでき得る。しかし国の制度は国際社会によって完全には自由に決められない。
自分の出来ることは、周りの人間関係を良くするために努力する。健康に気をつけることだ。